熊本戦の実態
熊本戦区での兵器開発史
〜何でまたこんな変な兵器が出たのか〜
1.開戦時の布陣と戦術思想
都市空間での戦闘。特にそれが防衛戦であることを考えた場合
そして敵の主力が中型幻獣である場合、人類側は当然の帰結として
対中型幻獣戦を想定とした部隊を主力にした布陣を作り上げていた。
熊本県下にある全高校は、少ない資材と資金を、あるかどうかも分からない
伝説の絶対結界を信じて対中型幻獣戦に集中・特化して、開戦に望んだのである。
弱小県の居直りか。これは一種の賭けであり、英断であったと言えよう。
戦力比1対36という絶望的な戦いで、完全な包囲網にありながら、開戦から
3ヶ月以上持った上に最後の本土脱出作戦を行うことが出来たのは、この極端なまでの
対中型幻獣戦思想によるものである。
この決断を下した熊本の女傑、林凛子はどれだけでも誉められて良いであろう。
それが例え、当時においてどれだけ無謀な賭けだと言われていても。
九州の兵器開発能力は決して低くない。
中には熊本の「可憐」の様に、名を知られたウォードレスも
開発しているという実績もある。
それでも、それが苦笑抜きに語られないのはそれら兵器がいずれも
熊本的な思想で設計されているからである。
新しい物好きで、保守的。同時に攻撃的。
奇形的な兵器を生み出す条件としては、これ以上のものはない環境である。
特に、主力である戦車戦で投入された兵器は、いずれも戦史に特筆されるもの
ばかりであり、これらの兵器達が開戦時の短い期間で姿を消したのは残念である。
もっとも九州撤退後、これらの技術は本土の各校にもたらされ、多大な影響を与えた。